「空中携挙、ファミコンが子供を奪ったように」
「ファミリーコンピュータ」は子供を奪いました。
親たちは、なすすべがなかった。
まさに、「奪われた」のです。
子供は夢中になりました。ただ、面白かったからです。
なぜ、子供はゲームが好きなのか。
一つは、プログラムが「論理的」だからです。
もう一つは、それで横の繋がりが生まれるからです。
今度は、同じように大人も含めて奪われていきます。
ゲームがかつて子供をさらったように、
今度は大人まで含めて奪うのです。
神はロゴス、論理です。
インターネットの雲(クラウド)は、
完全な「横の繋がり」をもたらします。
雲を伴って来臨した神は、われわれを「さらう」のです。
これが「(空中)携挙」です。
今度は、「一時的な子供の遊び」ではありません。
「永遠」の中に取られるのです。
>それから生き残っているわたしたちが、
>彼ら(キリストにあって死んだもの)と共に雲に包まれて引き上げられ、
>空中で主(キリスト)に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
> (テサロニケの手紙一)