「仕事とは何か ~『食うために働く』の間違い~」
「仕事とは何か」と言えば、確かに「食うために」とも思えるでしょう。
動物は確かにそうしているし、
生きるための食料は賃金で買うからです。
しかし、これが間違いであることが、特に最近、明らかになっています。
農業生産力は、ここ数百年では何倍、何十倍では済まないくらいに
向上しているだろうし、昨今のロボット化を見れば、
「ロボットにできることが義務というのはおかしい」と思えるでしょう。
人間の「仕事」は「餌を取る」のではなく、明らかに別の方向性があります。
それは、「効率を追求する」ことです。
動物のように「食えればよい」のであれば、とっくにクリアしているのです。
では、その「効率の追求」が意味することは何か?
それは「神殿の建設」です。
人間は、神殿を建設し、神を礼拝をするために働いていたのです。
歴史とはその過程なのです。
ゼロ成長、資本主義の終わりはこの神殿の完成を意味しています。
今は、このことを知るべきときです。
俗なる仕事に従事している人は「仕事を失う」ことを恐れないでください。
俗なる仕事がない(終わった)という人は、
専ら、その「目的」であった礼拝をするときです。
そのためには神と礼拝に関する知識を得る必要があります。
それが、これから示されることです。