「『正しさ』や『上手さ』とは何か」
物事をなすときには、「正しさ」・「上手さ」があります。
では、「正しい」・「上手い」とは、どこから来るのか。
これは「基本がしっかりしているか」ということによります。
「練習」や「数学の定理」などは、
つまりは、「基本」、「型」なのです。
すべての実践は「基本の派生」です。
つまり、基本ができていなければ、すべての実践は無駄なのです。
川の上流が汚れていれば、下流はすべて汚れるのです。
基本がしっかりしてればしてるほど、「正しい」・「上手い」のです。
では、「基本」とは何か。
それは「普遍」であり、「聖なるもの」であり、究極にはキリストです。
究極の基本はキリスト(「もとい(基)」、基督)なのです。
つまり、何事も正しく成すには、キリストを知る必要があるのです。
川の水源はキリストなのです。
特に時代の転換のときは、よりはっきりします。
「本当の正しさ」、「本物かどうか」が問われるのです。
さらには、今は終末のときであり、
俗なるものは成り立たなくなるのです。
キリストを知ることは、すべてにおいて、
「正しくする」・「上手くする」ことにつながるのです。
「正しい」・「上手い」というのは、
「キリスト的である」ことを意味します。
「正しさ」は聖(縦)であり、「上手さ」は義(横)です。
聖は正(セイ)であり、義は技(ギ)でもあります。
縦と横で十字の交わるところ、
すなわち、聖であり義であるのがキリストです。
「何かをする」というのは「十字を切る」(神と人が交わる)ことです。
このことに関する知識が明白に示されます。
求めるべきはキリストなのです。