「善と悪に二分されていく世界」
経済の高度成長期には、「善か悪か」はさほど問題にされません。
というのは、
「テレビが持て、洗濯機が持て、車が持てることが善であるのは当然」
だったからです。(俗なることが主である状態)
つまり、善人か悪人かを問われるまでもなく、
全体としてほぼ同じ目標を持てたわけです。
しかし、これがゼロ成長時代に入ると、状況は変わります。
「何を善とするか」が明白に分かれてきます。
隠れていたものが露わにされるのです。
(もちろん、改心することは可能です。)
まず、明らかになった悪は、民族派や左派です。
明瞭な目安としては自由化やTPPに反対する者どもです。
言い換えれば、民族や国家を偶像化している者どもです。
低級な偶像崇拝から先に脱落していきます。
(民族や国家は貨幣よりも低級、すなわち普遍性が低い偶像です。)
今後は、さらに自由化やTPPに賛成する勢力の中で、
善と悪に分かれます。
悪なる側は、いわゆる「拝金主義者」・「インフレ肯定派」です。
しかし、その悪なる努力も虚しく、経済成長は起こり得ないのです。
善とは、もちろん、神を神とすることです。
偶像崇拝者の余命は短いのです。
>不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、
>義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ
> (ヨハネの黙示録)