「インターネットとは何か (2)神殿の完成」
(世俗の)産業の終わりは、「神殿の完成」を意味します。
「俗が終わり、聖(神殿)が始まる」ということです。
インターネットに関わる産業が、「最後の産業」がなるわけですが、
「最後」というのは、「極まった」ことを意味し、
これが「神殿の完成」ということになります。
「極まる」とはどういうことか。
まず、ネットにおける「移動時間」は基本的に「ゼロ」です。
これは、「空間的な制約からの自由」を意味します。
また、「いつでもアクセスできる」という環境は、
「時間的な制約からの自由」を意味します。
文明というものは「速く、硬く(硬いものほど強く、永続的です。)」
を志向しているわけですが、
その極まった形が「インターネット的なあり方」となります。
これは「時間や空間の制約からの自由」を意味しますが、
「霊的な場所」、すなわち神殿ということになります。
また、インターネットにおける単位は必ず「個人」です。
「放送局」と比較するとわかりやすいですが、
「免許」や「組織」からの制約から自由なのです。
これは、「人が神と直接つながる」ということを意味します。(脱政治化)
すなわち、「人が神と直接つながる霊的な場所」、
神殿が完成するということになります。