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「インターネットとは何か (8)『網』」

インターネットによる「空間」に注目すると、

そこは「雲」(クラウド)であるわけですが、

「救われる」、「上げられる」、「すくい上げられる」ことに注目すると、

それは「網」(ネット)であることになります。

まさに、「網(ネット)によって、すくい(救い)上げられる」のです。

しかし、「ネット」が完成するまでには、

イエスの初臨から2000年の月日が必要でした。

>シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、

>彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。

>彼らは出て行って舟に乗った。

>しかし、その夜はなんの獲物もなかった。

>夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。

>しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。

>                    (ヨハネによる福音書)

ペテロは「カトリック教会」を表します。

カトリックの網(地の教会)では、

岸に立つイエス(復活のイエス)を認めることはできず、

魚は取れませんでした。

しかし、イエスが、「右の方」と指示をします。

>すると、イエスは彼らに言われた、

>「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。

>彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。

>                    (ヨハネによる福音書)

「右」というのは、「右手」、「技術」、「経済原理」を表します。

また、これはカトリック(政治原理)に対するプロテスタント(経済原理)も指します。

「技術」、「経済原理」の到達点が「インターネット」であり、

「魚がたくさん取れる網」ということになります。

安心してください。魚は引き上げられます。

大漁にもかかわらず、網がさけることはありません。

>イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。

>シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。

>しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。

>陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。

>彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、

>その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。

>イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。

>シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、

>百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。

>そんなに多かったが、網はさけないでいた。

>              (ヨハネによる福音書)

そして、主の来臨(「主の復活」に対応)を知り、

一体となる(「食べる・食べられる」)ことになります。

>イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。

>弟子たちは、主であることがわかっていたので、

>だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。

>イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
>イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、
>これで既に三度目である。
>              (ヨハネによる福音書)

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