「インターネットとは何か (9)完全なる聖所
クラウドは都であり、そこは、そのまま聖所にもなります。
そこでは、時間・空間を問わず、
それぞれが祈りのための生贄・貢物を持って、いつでも出入りすることができます。
そこは、人間的な制限の及ばない自由な場所となります。
>諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
>都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
>人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
> (ヨハネの黙示録)
クラウドは自由な場所であり、人間的な支配を及ぼしません。
そこは、「暴力・権力・貨幣」の及ばない場所であり、
「聖所の完成体」ということができます。
例えば、
土地(農地など)ならば「暴力(土木工事、軍・警察)」によって維持・管理され、
国家機関(役所・放送局など)であれば、「権力(免許)」によって維持・管理され、
施設(建造物など)であれば、「貨幣(維持費)」によって維持・管理されます。
これらは人為的なものであり、
これらは「汚(けが)れ」となる要素であり、
これらを目的化すると「偶像崇拝」ということになります。
これらは、歴史の過程においては必要なものでした。
しかし、「クラウドおよび、クラウド化された世界」(新天新地)
においては、このような要素は介在しません。
そこは偽物や汚れたものが紛れ込むことのできない場所となります。
愛、すなわちキリストによる直接的な関係のみが存在します。
>しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、
>その中に決してはいれない。
>はいれる者は、小羊(キリスト)のいのちの書に名をしるされている者だけである。
> (ヨハネの黙示録)
「クラウドおよび、クラウド化された世界」(新天新地)にあっては、
このような汚れたものが介在せず、神と聖所が一致します。
これは目的と手段が完全に一致するということであり、
完全なる聖所を意味します。
これは、死の原因(罪)、および諸々の苦しみが取り去られることも意味します。
そこで神と人は共にあり、共に住むということになります。
>わたしは、この都の中には聖所を見なかった。
>全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
>
>都は、日や月がそれを照す必要がない。
>神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
> (ヨハネの黙示録)
>また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、
>「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、
>人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
>人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
>
>もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
>先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
> (ヨハネの黙示録)