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「仕事とは何か (2)労苦の始まり」

「食うために働く」というのは間違いです。

それが本当ならば、「未開の土着民」のままでよいわけですし、

それよりも何倍もの生産力を持つ文明国なら、なおさら、

ほとんどの労働は不要です。

「食うために働く」のではなく、

「文明化が義務付けられている」のです。

知恵の実を食べた人間は、知恵があるがゆえに、

「文明化」を強いられることになります。

これは「エデン追放」に対応します。

「文明化」を続けていかなければ、支配され奴隷にされて、

より「高度な文明」に仕えることを強いられます。

これは「文明化には方向性がある」ということを意味しています。

「日々の仕事」と言っても、同じことの繰り返しではないのです。

「正しい方向」があり、例えば、どちらがより正しいかは、

「戦争」、「競争」などで決定づけられます。

文明における「正しい方向」は、「戦争に勝てる」ということであり、

あるいは「効率がよい」、「技術がある」、「生産性が高い」

というようなことになります。

この「方向性」が、「義務」として「労苦」となり、

また戦争、競争なども強いているのです。

「方向性」があるから、「正解」を出すために苦しむことになります。

これが労苦の原因であるわけでが、

人間の他の苦しみも基本的には同じものです。

「ある方向を強いられる」ことによります。

しかし、「方向性がある」ということは、

「向かう先に何かがある」、「終着点がある」ということにもなります。

「無限の循環」ではないということです。

「労働は機械化される」、「人間は何をするのか」という問題は、

この「終着点」について、問われるときが来ていることを意味しているのです。

>更に人に言われた、

>「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、

>わたしが命じた木から取って食べたので、

>地はあなたのためにのろわれ、

>あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

>地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、

>あなたは野の草を食べるであろう。

>                (創世記)


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