「仕事とは何か (3)労苦の終わり」
人間の文明の発展には「方向性」があるわけですが、
それは「合理化」・「効率化」に向かっており、
これは同時に、「物質」(衣食住)から「精神」(情報・サービス)をも意味します。
(衣食住も工業化・サービス業化され、情報化・プログラム化されていきます。)
「ネット化、ロボット化」はその最終形態です。
「ゼロ金利」や「ゼロ成長」はこの「最終」を示しています。
「ゼロ金利」・「ゼロ成長」とは「投資先がない」ということであり、
「さらなる合理化の余地がない」ということになります。
これは、「文明化」によって始まった「労苦が終わる」ということを意味します。
文明の発展には「方向性」があり、それは「合理化・言語化」であり、
「合理」・「言語」というのは神のことです。
>初めに言語があった。言語は神と共にあった。言語は神であった。 > (ヨハネによる福音書)
労苦をともなう「合理化・言語化」という歴史の過程は「神に向かう過程」であり、
神(言語、ロゴス)と交わるための「神殿建設」の過程であったと言えます。
例えば、「野球をする」(目的)に対して、
「野球場を作る」(手段)というのが、
この「労苦をともなう歴史の過程」となります。
「野球をする」(目的)よりは、
「野球場を作る」(手段)方が「つらい」(労苦)のです。
「球場を作る」というのは、物質的な作業なので重労働であり、
「コスト・カット」・「納期」のような圧力もあり(競争・戦争など)、
何よりも、あくまで「手段」であるので、「野球をする」(目的)よりは、
(喜びはあっても)「まだ、つまらない」のです。(神から遠い。俗。)
しかし、野球場は完成します。
これは「労苦からの解放」となります。
やり方を知ってプレーをするときなのです。