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「仕事とは何か (8)神をめぐる争い」

歴史の過程は「神殿建設」の過程であり、

それは「野球場建設」に例えられます。

「野球場の正しいあり方」は、その中で行われる「プレーのあり方」で決まり、

プレーのあり方は「祈り(プレー)方」に対応します。

つまり、「どのような神殿が正しいか」は、

「どのような祈り方が正しいか」によります。

すべての「競争」・「戦争」は「神殿のあり方をめぐる争い」であり、

「神をめぐる争い」ということになります。

企業おけるシェア争いや、国家による戦争は、

「価値」や「政治体制・イデオロギー・国教など」をめぐる争いであり、

これらは神殿建設の過程の一部なのですから、

究極的には神をめぐる争いということになります。

すべての「競争」・「戦争」は神をめぐるものですが、

これは「力」・「軍事力」に限りません。

商品が支持を得るのは「実用性」(力)だけではなく、他の価値によるものも多く、

ローマ帝国は「キリスト化(カトリック化・正教化)」されるわけですが、

これは戦争によってなされたものではなく、価値によってなされたものです。

その時々で神に望まれたものが用いられることになります。

カトリック・正教がローマ帝国を支配したのは、

「そのときに、神殿建設の過程で最もふさわしいものだったから」

と言えます。

この時期に、近代の基礎となる教理の発見や聖書の編纂がなされます。

これが後の段階では、プロテスタント、特にアメリカが、

もっともふさわしい神殿建設に向かい、(資本主義化)

力を持つことになります。

「先進国」が基本的には「キリスト圏」であるのは、

神殿はキリストのものなので、「キリスト圏」が当然「上手くやれる」からです。

(ユダヤ人も別の意味での「選びの民」なので活躍することになります。)

「先進国」・「近代資本主義」は、主に「科学」・「技術」によるものですが、

ニュートンからエジソンまで「熱心なキリスト教徒」または「ユダヤ人」なのは、

彼らが、特に「神に選ばれて」おり、その時々の必要に応(こた)えたからです。

このような歴史書に記録されるようなことに限らず、

その時々に、神殿建設に求められていることに応えることを「仕事」と言い、

それを行うものには、ある種の力が与えられ、歴史の進行に用いられます。

そして、「アメリカ化」・「資本主義化」の到着点が、

クラウド化(グローバル化を含む)ということになります。

クラウド化によって神殿が完成し、

あらゆる偶像は立たなくなり、

キリストに依らなければ、何一つ意味を持たなくなります。

こうして「競争」・「戦争」は終焉し、

神による永遠の平和が実現することになります。


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