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「仕事とは何か (10)さばき捧げること」

世界史は「神殿建設の過程」であり、

この「神殿建設」を野球場建設に例えれば、

野球場(俗)も、野球のプレー(聖)も、神への「捧げ物」ということになります。

捧げ物を捧げるときには、「やり方」が問題になります。

球場建設をするときに、

採掘した石材をそのまま積み上げても野球場にはなりません。

材料の石は、球場の一部にふさわしい形に加工する必要があります。

「加工して全体の一部にして組み立てる」ことを「さばく」と言います。

プレーに関しても、「ボールさばき」などと言うように、

やはり「さばく」ことが求められます。

この場合、さばく側が「祭司」(選手、建設者)、

さばかれる側が「生贄」(ボール、石材)ということになります。

「仕事」というのは「祭司が生贄をさばいて捧げる」ことと言えます。

それぞれの持ち場で、「生贄をさばいて捧げる」ということになります。

これはもちろん、趣味・遊び・学芸などの「聖なる領域」でも同じであり、

いや、むしろ、聖なる領域での方が、

より厳密に「さばいて捧げる」ことが求められます。

いずれの場合も、「正しくさばいて捧げる」ことが「善」ということになります。

逆に、そうでなければ「悪」となります。

例えば、野球場建設に際して、材料の石を歪んだ形で使おうとしても、

それは野球場の一部には使えず、すなわち「悪」であり、

最終的には「ゴミ」ということになります。

あるいは、「野球場」を作るべきときに、

「卓球場」を作るつもりで設計・建築したのでは、

これもやはり「ゴミ」ということになります。

食べ物で言えば、「体の一部にならない排泄物」ということになり、

商品で言えば、「役に立たたなかった廃棄品」ということになります。

正しくさばいて捧げることが善であり、

これは、よい形に整えられた石が野球場の一部となるように、

「よい仕事(知識・行い=設計・建築)によって、神の一部になる」

ということです。

神の一部になるためには、

「正しくさばいて捧げる」ことが求められるということになります。


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