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「仕事とは何か (11)上げられる生贄」

人間が何かをするということは、

すべて「祭司が生贄をさばいて捧げる」という型となっています。

捧げるというのは神に捧げるのであり、

それが神の一部になることが善なる状態ということになります。

この、神の一部になるというのは、どういうことか。

これは、生贄が、祭司によって「上げられる」ということを意味します。

建造物の材料の石は、正しくさばかれることで建造物の一部になるわけですが、

これは「さばかれることによって秩序を持つ」ということを意味しています。

また、「ボールさばき」というように、ボールに関わるプレーの場合も、

ボールが正しくさばかれることで、秩序を持った意味のあるプレーとなります。

これらは、石材やボールのような物質が、

さばかれることよって、秩序を持つ霊的な存在になるということであり、

「(肉から霊に)上げられる」ということになります。

「祭り上げ」や、「生贄の献上」などの「上げる」というのは、このように、

「肉から霊へ上げられる」、「秩序を持った存在とされる」ことを意味しています。

これは高いところに上げられて冷やされた水蒸気が、

秩序だった雪の結晶になるのと同じ型です。(冷化、霊化)

人間のあらゆる仕事(遊びも含む)はこの型となっており、

布はさばかれることによって秩序をもった服となり、(裁断)

絵の具は、画家という祭司にさばかれて絵という秩序をもった存在となり、

ヴァイオリンやピアノといった楽器は演奏者は祭司となって、

秩序だった音楽を奏でることになります。

(絵の被写体や曲も、画家や演奏者にさばかれる生贄と言えます。)

これらが正しくなされたとき、

祭司と生贄は一体化し、生贄は祭司によって上げられ、

これらは神のものとなった状態になります。

これによって神の栄光が示されることになります。

人間が求めているものは、このように示される神の栄光であり、

あらゆる「文化活動」はこれを目的としています。

俗なる仕事の場合も、学芸(趣味、遊びを含む)ほど直接的でなくても、

最終的にはこれを実現して行くための環境づくりのためのものです。(神殿建設)

肉なるもの(生贄)を祭司がさばいて霊的なものとして神に捧げる、

というのが人間が事を行うことの意味であり、

人間の行うこと(趣味・遊び、労働)はすべて、

この神の栄光を示し神と交わることに帰結するのです。


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