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「仕事とは何か (12)さばく祭司」

人間が「何かをする(仕事)」ということは、

すべて「祭司が生贄をさばく」ことであり、

つまり「すべての人間は祭司である」ということになります。

「祭司が生贄をさばく」とは「十字を切る」ことです。

「十字を切る」とはどういうことか。

まず、「祭司(縦)と生贄(横)」という関係があります。

これは、「包丁(縦)と肉(横)」という卑近なものから、

ヴァイオリンの「弓(縦)と弦(横)」のようなもの、

(つまりは、「演奏者(縦)、楽器(横)」ということです。)

さらには、男と女も「男(縦)と女(横)」という関係にあり、

究極的には「神(縦)と人(横)」となります。

キリストは、神であり人であるので、十字の交点はキリストに対応します。

例えば、画を描くときに、画家は祭司であり、その視線、筆は「縦」になります。

そして、手前にある紙、被写体は「生贄」であり、「横」になります。

祭司である画家の視線と筆(縦)が、

被写体と紙(横)をさばくことになります。

画家はその目線(縦)で被写体を見、

さらにはその先に神を見て、そこに捧げるのです。

画家の視線は神を見るものであり、

これは「縦」であり、「聖」です。(正)

また、生贄をさばくために広げられた両腕は、

視線の「縦」に対して「横」であり、「義」ということになります。(技)

「何を(聖、縦)、いかに(義、横)さばくか」で、

「縦と横」で十字となります。

「正しい」というのは「縦、聖」から来るものであり、

つまり、神を見て、神に捧げられているか、に関わり、

「上手い」は「横、義」から来くるもので、

秩序をもってことが行われているか、に関わります。

絵画で言えば、

聖(縦)は「被写体を正しく見ているか(その先に神を見ているか)」に関わり、

義(横)は「上手く(よい技術)かけているか」に関わります。

すべての行為はこのように「十字を切る」型になっています。

十字を切り、縦と横が交わるところがキリストであり、

キリストと交わって生きるのが人間ということになります。


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