「仕事とは何か (15)永遠の祭司」
世界史は「神殿建設の歴史」であり、
これは「野球場建設」(俗)に例えられますが、
これが完成(世の終わり)した後は、「直接ボールをさばく」(聖)ことになります。
ボールというのは聖なる生贄であり、キリストに対応します。
すべての人間は、神殿の中の祭司となります。
これに際して、野球のボールをさばくにも型があるように、
(それを身に付けるのが練習です)
キリストと交わるためにも型を知ることになります。
これは、世の終わりの前の歴史の過程でも、
「教会」(聖)や「学校・社会・家庭など」(俗)で、
それに類したことは行われてはいるのですが、それぞれは分離されています。
例えば、教会が「プレー」(聖)に関わるものであるとすれば、
学校・社会・家庭などは「球場建設」(俗)に関わるものが多いと言え、
それぞれは分離されており、「いまだ、球場内で野球は行われていない」
という状態です。
これが世の終わり(球場完成)を迎えて、
ボールが球場内に入ってプレーが行われるに至ります。(キリスト再臨に対応、結婚)
このときにあって、分離されていった「プレー」と「球場」が一体のものとなり、
中でプレー(プレー・遊び、祈り)が行われるようになります。
これは、「神の下にすべてが統一される」ということであり、
それに関する知識が示されます。
ここでは、(千年王国を経て、最後は新天新地)
神殿建設の過程(歴史)は完全に終わっており、神の統治が完成しているので、
死や苦しみのない永遠の状態が実現されています。
そこにあって、神に関する知識を得て、
永遠の祭司としてプレー(遊び、祈り)を実践していくことになります。