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「死と復活 (4)『終着点』」

野球のような競技なら最後には胴上げがあり、

劇のようなものにはカーテンコールがあり、

そこでは「出番」が終わった選手・演者も一堂に会し、

これは「復活」の型になっています。

なぜ、最後にこのような「集合と歓喜」があるのか。

それは、試合や劇には「流れ」があるわけですが、

それには「目的」・「終着点」があるからです。

これを全世界に当てはめれば、

「歴史の流れには目的があり、それは終着点に向かって進んでいる」

ということになります。

歴史の目的とは「宣教」(聖)・「文明化」(俗)というようなものであり、

それには終着点があるのです。

目的・終着点があって進む過程において、

「出番」・「交代」が存在するわけですが、

同時にそれは「最後に目的地での集合がある」ことも意味します。

(これが、胴上げやカーテンコールに当たります。)

つまり、生きている間に「何かを思い、行う」ということは、

この「終着点」に向けてなされているのです。

人間が生きている間に持つ思いや、する行いは、

すべて流れの中で「何か」に向けられたものであり、

その違いによって争いなども存在しています。

その、何かに「向かうあり方」が「霊的な状態」と言えます。

すべての思い、行いは何かに「向けて」捧げられているのです。

最後に胴上げに参加できるのは、チームの一員であり、

「勝利する側」であり、それを「望んでいた者」です。

その「胴上げ」やその後の「祝勝会」が「天国(神の国)」の型となります。

そうでないものを望んでいたものは、そこには加わることができず、

これは「地獄」の型となっています。

人間が生きている間のすべて善悪、正否は、

その人間の「思い・行い」が「何に向けられているか」によるのです。

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