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「死と復活 (6)肉を支配する霊」

野球のような球技では「選手交代」があるわけですが、

これは「死」の型となっています。

選手を交代させる監督は霊である神の型であり、

交代させられる選手は肉なる人間の型となります。

監督が上であり、中心であり、チームのすべてを統べているように、

神は上であり、中心であり、世界を統べています。

チームのありかたを決めているのは監督です。

選手たちは「監督のあり方」の反映となっています。

出場してる選手やその働きを見れば、

その監督が何を考えているかわかるでしょう。

会社のような組織であっても、

「会社を見れば、どのような社長かわかる」となります。

「肉は霊の反映」と言うことができます。

あるいは、ある人の部屋を見れば、その人がどういう人かわかるというのも、

「肉は霊の反映である」ことによります。

「部屋」が肉であれば、「部屋の主」が霊ということになります。

さて、もし、ある人が自分の部屋で使っていた机が壊れたら、

どうするでしょうか。

もし、その机が必要であり、つまり、

自分の体の一部のように使用されているのであれば、

その人は新しい机を買って再び配置するでしょう。

これは復活の型となっています。

肉なる机は壊れても、必要ならば再び設置されるのです。

このとき、「古い机と新しい机とは違うではないか」と言うならば、

それは肉によっているのであって、主に仕えていないことになります。

確かに、「古い机」は捨てられ滅びるわけで、

主に仕えていないものは滅びるのです。

そして、霊によれば、むしろ「新しく、よりよくなる」のであり、

再び主に仕えることになります。

つまり、「主に仕えるものは、よりよい形で復活する」

ということになります。

人間の人格は「神にとっての何か」で決まるのであって、

これは「いかに神に仕えているか」ということであり、

神の一部である人間には、机が再び配置されるように、

「復活がある」ということになります。

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