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「死と復活 (9)『さばき』」

歴史の過程が終わった後の定常的な最終状態では、

死はなくなり永遠の状態に至りますが、

その前にあっては、さばきがあります。

これは、ものごとの最後には、

「さばき」、「評価」があることと同じ型になっています。

試合なら勝ち負けがあり、試験には合否があり、

作品には批評があり、経営には決算があります。

試合が終わった後には、それぞれの選手たちに対して、

評価が下されることになります。

ここにあっては勝者と敗者が明確に分かれます。

勝って胴上げに加わる側と、

負けて歯ぎしりする側とに分かれることになります。

このとき、勝ちと負けを分けるのは「勝者の側にいるかどうか」、

すなわち、「神の側にいるかどうか」ということになります。

勝者が胴上げで一体となるように、神の側は歓喜の中で一体となります。

「神の側でないもの」は、歴史の過程で発生した「かさぶた」のようなものです。

これは「貨幣」、「権力」、「暴力」のような歴史の過程で発生したものであり、

これを主とする(基準とする)のを「偶像崇拝」と言い、

偶像崇拝者は「かさぶた」ということになります。

体の一部が傷ついても、それが治癒する一方、

体の一部ではない「かさぶた」は剥がれ落ちて捨てられるということになります。

アダムによる原罪は、人間にとっての傷であり、

それを覆うために歴史の過程で「貨幣」、「権力」、「暴力」が必要とされますが、

それを主とする偶像崇拝者、すなわち「かさぶた」も発生し、

これは最後には剥がれ落ちることになります。

「かさぶた」というのは体の一部ではなく、

これは人間にあっては「神の一部ではない」ということであり、

最後は捨てられるものです。

その一方で、神の一部である者には、傷の治癒した状態、

すなわち、完全で清い状態で復活し、永遠の命が与えられることになります。

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