「死と復活 (10)『完成』」
世界の歴史は「過程」であり、それは「完成」があります。
例えば、机を作る場合、そこには「過程」があります。
資源を取り、材料として加工し、組み立てて、コーティングや彩色をします。
歴史の過程もこれと同様に、段階があり、目的に向かって進行しています。
もし、
「資源を取る作業」、
「材料を加工する作業」、
「組み立てる作業」、
「コーティングや彩色をする作業」、
というように完成の過程で関わる作業がリレーのように入れ替わることになり、
この「作業期間」を「人間の生存」に対応させれば、
これが人間の生と死の型となっています。
そして、この机はやがて完成を迎えることになります。
そのとき、これらの作業は、
「同時に」かつ「統一された形」で生きることになります。
これが復活の型となっています。
作業の過程においては、同時に進行することはできないので入れ替わりますが、
完成の段階では、「関わったものすべてが一体となって同時に生きる」
という形で復活させられることになります。
(机の一部とならないものは捨てられることになります。)
そこでは、人格が認められます。
机を作る過程でそれぞれ役割があったように、
最終状態においても、全体の一部として人格が認められることになります。
(それは完成された聖なる状態でなされます。)
そして、完成の後は「作業の入れ替わり」は不要であり、
つまり、「死がない」という状態となります。
そして、作業の過程で発生する木くずのような「汚れ」も存在せず、
完成された秩序における永遠の状態が実現することになります。