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資本主義の終焉

 

「新製品・新産業の枯渇」は、

「ゼロ金利・ゼロ成長」につながり、

これは「資本主義の終わり」を意味します。

想像できない100年後

 

現在、「100年後の予想」というものが可能でしょうか。

 

100年前(A.D.1900年ごろ)には、

不正確ではあっても、「100年後の予想」がなされ、

それは、それなりに意味のあるものでした。

 

しかし、現在では、見通しが立たないため、

このような予想自体が、あまりなされません。

 

これは、

「100年後は今の延長上にはない」

ということを意味しています。(図1)

「質的な転換」を迎えるのです。

新製品の終わり

 

製品の改良は際限なく続くわけではありません。

 

図2は、その一例として「テレビ」について見たものです。

 

> テレビなし

> ↓(差は「大」)

> 白黒テレビ

> ↓(差は「中」)

> カラーテレビ

> ↓(差は「小」)

> 液晶テレビ

 

というように発展していますが、

徐々に「効果の変化」は小さくなっていきます。

「発展」、「新商品」には飽和があるのです。

 

これは、あらゆる製品で同じです。

 

スマートフォンであれば、

「これ以上薄くしても仕方がない」

という段階があります。

 

飛行機も、現在では、

「素材を軽くする」程度の発展であって、

「効果の変化」は小さくなっていきます。

 

「製品の改良(新製品)」には限界・飽和があるのです。

世俗の仕事はなくなる

 

労働は機械化・合理化されます。

 

人間にとっての「最後の仕事」が、

「礼拝」ということになります。(図5)

 

この「礼拝」とは、「神との交わり」であり、

「遊びと仕事が合わさったようなもの」と言えます。

 

この「礼拝」が、

「どのようなものであり、どのようにするのか。」

を知るために、これから説明していくことになります。

新産業は出ない

 

図3は、

 

「産業は具体的・物質的なもの(下)から、

 抽象的・言語的なもの(上)へと変遷していく。」

 

ということを示しています。

 

「産業は、より「霊的(言語的)」なものへ収束して行く。」

とも言えます。

 

したがって、

「言語・情報」関わる産業が「最後の産業」

ということになります。

 

唯一の「成長産業」に見えるものは、

「ロボット化」だけですが、しかし、これは、

「既存の人間がやっているものの自動化」であり、

「経済拡大」ではなく、むしろ、「経済縮小」の要因です。

 

すべての産業は「言語化」・「共有化」され、

これらは「経済縮小」をもたらします。

 

 図2 改良の飽和
 図3 最後の産業
 図4 
 図5 
 図1 現在の延長上にはない100年後

  第1部 第一章 (1)資本主義の終わり

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